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2018年07月15日

2018年7月15日

このブログは2010年7月15日に始めました。
サラリーマンをクビになり、娘2人をかかえた貯金なしのビンボー父子家庭の新しい出発の記念として、初老のオヤジでも簡単に思い出せる様に、博多祇園山笠の追い山の日に合わせました。

今年、改めて7月15日が忘れられない1日となりました。

1968年申年生まれ、1988年で20歳、1989年の1月が成人式!
久留米高専に進んだ僕は、二十歳で卒業&就職!
1989年の1月に昭和天皇が崩御されたので、昭和63年度卒、平成元年入社!

バブル最善世紀だったので、奇跡的にJapan Air Linesに就職!

当時トントン拍子で入社したフラついた僕に、世話役という方が付いていただきました。

その方は鹿児島出身で、桜島より熱い方でした。

セーフティーワイヤーのかけ方、ボルト・ナットの締め方から、仕事に対する姿勢、社会人としてのあり方等、事細かにご指導いただきました。

仕事が終わって、娘さん達の運動会の場所取りにも行きました。


そんな、仕事もプライベートも分け隔てなく、日本人としての生き方を教えてくれた隈元さんが今朝早く亡くなられました。

家族ぐるみで、公私共にお世話いただきました。


時にはおふざけもありましたが、僕達新人を温かく見守っていただきました。





1年で世話役を離れ、所属が変わっても、いつもお声賭けいただきました。

やっと、1等航空整備士の資格を取りスタートラインに立った時に、ドロップアウト!

会社を辞めてNew ZealandにWorking Holidayに行き、その後は故郷の久留米に戻りたいと話した時は、さぞかしガッカリされてと思います。
それでも、僕の門出にとご家族の皆さんで、素敵なホームパーティーを開いてくださいました。















あれから悪戯に時間が過ぎ、いつでも会えるという自分の甘えも手伝って、電話だけの会話になってしまってました。

先日、体調があまりよくないとお聞きして、お電話差し上げた時は、元気そうに振舞っておられても、どこか以前のような元気を感じられないお声に少し寂しさを感じました。

こんなに早く、お別れの日が来るとは思ってもいませんでした。

また、伊佐美のお湯割りをバカ話をしながら飲めると思っていました。


もう一度、やかましく叱っていたきたかったです。



仕事は変わっても、あなたから教えていただいた仕事に対するひたむきな姿勢は守り続けているつもりでいます。
間違っていたなら、やかましく叱っ下さい。


いつの日か美味か焼酎ば楽しく飲みましょう。

安らかにお休み下さい。

  


Posted by さだきち at 23:43Comments(0)